銀鯖道の夜
二十八
南十字路とタキビシン海岸
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「ホーオーは、
ぼくをゆるして下さるだらうか。」
いきなりシギパネルラが、
思ひ切つたといふやうに、
少しどもりながら、
急きこんで云ひました。
ジロバンニは、
(ああそうだ、
法王さんは、
あの遠い、
一つのちりのやうに見える
橙いろの太東駅のあたりにいらつしやつて、
いまぼくたちのことを考へてゐるんだつた。)
と思ひながらぼんやりして、
だまつてゐました。
「ぼくはホーオーの云うやうに
サーファーたちがほんたうに幸ひになるなら、
どんなことでもする。
けれどもいつたいどんなことが、
ホーオーのいちばんの幸ひなんだらう。」
シギパネルラは、
なんだか泣きだしたいのを、
一生けん命こらへてゐるやうでした。
「サーフィンは、
なんにもひどいことないぢやないの。」
ジロバンニは叫びました。
「ぼくわからない。
けれども誰だつて、
ほんたうにいい波がいちばん幸ひなんだね。
だからホーオーは、
ぼくをゆるして下さると思ふ。」
シギパネルラは、
なにかほんたうに決心してゐるやうに見えました。
【解説】
だらうか=だろうか
思ひ切つたといふやうに=思い切ったというように
急きこんで云ひました=せきこんで言いました
やうに=ように
考へてゐるんだつた=考えているんだった
云うやうに=言うように
幸ひなんだらう=さいわいなんだろう
ほんたうに決心してゐるやう=本当に決心しているよう
ミヤサバ先生は、
138年前にさかのぼって受動的サーフの撤廃、
止揚という主張をこの「幸い(さいわい)」という言葉に集約しました。
このミヤサバ論を読むと、
もはやサーフ終焉論であるといえるだろう。
「サーフ思想の終焉は、
すでに138年前に予見されていた」
ということが、
私たち研究者たちの共通する見方ということになる。
現在では、
コンテストを王道とするWSLサーフというのが全体主義者たちを取りまいている。
ただこのギンサバ世界はそれとは異なり、
自身を俯瞰させて、
自律的に成熟し、
問答を繰り返した結果によって発生しているのだ。
(29へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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