銀鯖道の夜
三十五
南十字路とタキビシン海岸8
ジロバンニとシギパネルラは、
タキビシン海岸といふ停車場の前の、
水晶細工のやうに見える櫻の木に圍まれた小さな砂浜に出ました。
シギパネルラは、
そのきれいな砂を一つまみ、
掌にひろげ、
指できしきしさせながら、
夢のやうに云つてゐるのでした。
「この砂はみんな水晶だ。中で小さなタキ火が燃えてゐる。」
「さうだ。」
どこでぼくは、
そんなこと習つたらうと思ひながら、
ジロバンニもぼんやり答へてゐました。
【解説】
櫻=桜
圍まれた小さな廣場=囲まれた小さな広場
習つたらうと思ひながら=習った(ことだ)と思いながら
答へてゐました=答えていました
意識の概念に、
現実界・象徴界・想像界(le Réel, le symbolique, l’imaginaire)というものがある。
このジャック・ラカンの精神分析理論で知られる関係性は、
ギンサバ界と現実界に入りこみ、
幻想において自己の姿を見させると言える。
自分がどのような人間なのか、
他者との関係の中に自己のイメージを見いだし、
それに同一化しようと試みる。
しかし、
その幻想は客体的現実によってほころび、
裂け目から、
裏側(正方向)にある現実世界が明滅する。
画家でもある私は、
このギンサバ世界を受け、
フィレンツェ派の技法で、
そう、
ピエトロ・ロレンツェッティ的に『マルチバース』を描いた。
この銀鯖道の夜のバナーやポスターにもなったので、
ご存じの読者も多いだろうか。(上画像)
この章は、
読者や主人公たちが幻想世界にとどまろうとする意識を目覚めさせる。
想像界から現実世界の移行というのは、
全てを閉じたくなるような危うくなるような何かである。
イマジネーションへの深い潜行は、
ときに危険だと、
再確認させられる問題の章となっている。
(36へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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