銀鯖道の夜
ジロバンニの切符6
すると、
ラツコ捕りが横からちらつとそれを見てあわてたやうに云ひました。
「おや、こいつは大したもんですぜ。
こいつはもう、
ほんたうの天上へさへ行ける切符だ。
天上どこぢやない、
どこでも勝手にあるける通行券です。
こいつをお持ちになれあ、
なるほど、
こんな不完全な幻想第四次の銀鯖道なんか、
どこまででも行ける筈でさあ。
あなた方大したもんですね。」
「何だかわかりません。」
ジロバンニが赤くなつて答へながら、
それを又疊んでかくしに入れました。
そしてきまりが惡いのでシギパネルラと二人、
また窓の外をながめてゐましたが、
そのラツコ捕りの時々大したもんだといふやうに、
ちらちらこつちを見てゐるのがぼんやりわかりました。
【古語解説】
ラツコ捕り=アシュヴィン双神の別名だとされている。法王がひとり5役で演じている
ちらつとそれを見てあわてたやうに云ひました=ちらっとそれを見て、慌てたように言いました
ほんたうの天上へさへ行ける=本当の天上にさえ行ける
切符=ジロバンニが隠しポケットに持っていた折りたたまれた札
(隠しポケットはラッコ捕りが見つけた)
不完全な幻想第四次の銀鯖道=想像内のギンサバミチ
疊んでかくしに=たたんで隠しポケットに
見てゐる=見ている
【章を読み解く解説】
ニーチェの『悲劇の誕生』と、
タキビ神のヨワケ(夜明け)論はとても似通っている。
まずはニーチェ(*フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)のことを説明しなくてはならない。
彼は1844年ドイツ生まれの思想家だ。
この時代のドイツには、
「共同体に基づき、
美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」
そう過度に古代ギリシアを称える伝統があった。
伝統的なニーチェは、
「ディオニュソス(感情、狂騒、情動)的なもの」
を思想から抜き出して世にその名を響かせたのだ。
さらに進めて、
この銀鯖道の夜は、
二者原理の合一という理想に迫っているのだ。
これはあくまで私見だと前置きするが、
ニーチェのアポロン論(秩序、英知、胎蔵界)と、
タキビ神の「ヨワケ論」は同じものだ。
それはタキビ神が、
夜明け前の闇波に向かうダイナミズムのことをニーチェが表現するバッカス(酒神)と仮定すれば明らかである。
秩序(順序)の証(あかし)である夜明けが、
ミヤサバ表現の源となっていることを著書の中で示している。
それはたとえば、
「幻想第四次」という表現にも顕示(けんじ)されている。
つまりミヤサバは、
ヨワケ(夜明け)に際して肯定(アポロン的)しつつ、
それらの半極にあるディオニュソス的なものもヨワケだという。
これによってミヤサバは、
権力(アポロン)と否定(ディオニュソス)の両思想を具現化し、
さらには左右同等だという表明をこの切符に託しているのだ。
くわえて、
ラッコ捕りの存在価値がここに来て突出しているのも見逃せない。
(60へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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