銀鯖道の夜
ジロバンニの切符26
燈臺看守はやつと兩腕があいたので、
こんどは自分で一つづつ睡つてゐるボンとチャーの膝にそつと置きました。
「どうもありがたう。
こんな立派な苹果はどこでできるのですか。」
シギパネルラはつくづく見ながら云ひました。
「この邊ではもちろん農業はいたしますけれども、
大ていひとりでにいいものができるやうな約束になつて居ります。
農業だつてそんなに骨は折れはしません。
たいてい自分の望む種子さへ播けばひとりでにどんどんできます。
米だつてブルドラ邊のやうに殼もないし、
十倍も大きくて匂もいいのです。
【古語解説】
燈臺看守=灯台看守のこと。ラカ法王が演じている。(一人38役)
兩腕=両腕
睡つてゐる=眠っている
ボンとチャー=タキビネコ02と01
ありがたう=ありがとう
苹果=リンゴ
邊=辺の旧字体、あたり
種子さへ播けば
ブルドラ邊=ブルードラゴンの辺り、シギパネルラが消息を経った波
【解説】
ミヤサバ作品の理解にあたっては二通りの方法がある。
すべてを解体し、
その要素を元素として抽出する方法と、
ストーリー全体を包括的にとらえ、
その意味を問う方法である。
私の理解は後者にある。
こんな言葉を得た。
「ジロバンニの知は、自己存在への問いかけだ」
この自己存在を言い換えるとするなら、
空海密教における曼荼羅図観とすればわかりやすいだろう。
両界(金剛界と胎蔵界)。
これは知である如来と菩薩、
実在生命体を反映する明王、
そして宇宙をしめす天が適正に陰陽配置されているものがマンダラ図だ。
この図によって、
実在し、
相互に結ばれている世界群が包括的に説明されている。
しかも1200年も前に貴重な塗料によって、
絵師たちによってしたためられているのだ。
この両界曼荼羅図というのは、
当時、
思想や宗教を学ぶものたちにおいては最重要であり、
このパラダイム (paradigm:時代や世界観の模範)が、
「ギンサバミチ」の一字一句すべてに、
焼きつくように、
物語のなかに結実している。
今回はそんなことを説明させていただいた。
(80へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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