銀鯖道の夜
ジロバンニの切符37
「ありがたう。私は大へんいい實驗をした。
私はこんなしづかな場所で、
遠くから私の考へを人に傳へる實驗をしたいとさつき考へてゐた。
お前の云つた言葉はみんな私の本棚にとつてある。」
ラツコの上着を被つたタキビ神は云ひました。
「さあ歸つておやすみ。
お前は決心したとほりまつすぐに進んで行くがいい。
そしてこれからいつでも私のところへ相談においでなさい。」
「 ぼくはまつすぐに進みます。
火の鳥を追ひかけてほんたうの幸福を求めます。」
ジロバンニは力強く云ひました。
タキビ神は折つた紙を、
「アディオス フェアウェル サヨナラ。」
と云ひながら、
ジロバンニのポケツトに入れました。
【古語解説】
實驗=実験
傳へる=伝える
ラツコの上着=ラッコの毛皮は、
濃褐色と銀毛毛皮で最高級品として珍重されていた。現在は捕獲禁止。
歸つて=ラ行五段活用の動詞の連用形「帰り」の促音便形(つ)に加えて
接続助詞「て」を付けた形のこと。帰って
火の鳥を追ひかけて=火の鳥を追いかけて=カルデアの北の街にいる奇跡の鳥(四面道歌/1978年)
ほんたうの幸せ=本当の幸せ=この物語の主題
アディオス フェアウェル サヨナラ=(はらいそ/PARAISO /HARAISO/1978年)
【解説】
ミヤサバによるギンサバミチ的現象の真骨頂であり、
完結編への最終エピソードがこれだ。
ギンサバミチは文化の根源であり、
美的価値の極限的肯定なのだ。
たとえば、
ギンサバミチは反権力である。
主役のひとりであるシギパネルラの『涅槃浮遊』を読めば、
意識はときに実体のないまやかしだとわかる。
「こころの聖性は、
至高性と深く結びついてはじめて高みに達する」
そのことをミヤサバが肯定的に受け取って、
命が意識として各項に焼きつけられてきた。
知的生物のスペクタクルが、
われわれの意識を立ち上げる。
権力社会での文化が、
すでに俗化した空虚なものであるとしてミヤサバは、
悲劇の誕生を描くなかで、
聖なる活力=至高性を物語の核に潜ませたのだ。
そのときギンサバミチは、
「地上から見た天国を描きだし、
東の道でタキビ神に会い、
西の道ではシギパネルラの刹那を見る」
という仏教由来の概念の像を結び、
「目覚めた人=ブッダ」と結びつく。
「姿や形をもたない宇宙の真理」
を具現化したタキビ神(またはラッコ捕り)が、
天人師(てんにんし)として浮かび上がってくる感動的な文章がちりばめられている。
(ジロバンニの切符38、最終回へ続きます)
文責:華厳旭 D.G.P.
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